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原発輸出をやめよ!ODAを問う国際連帯シンポジウム



パネラーの皆さん(左から)
■ベリー・ナフディアン・フォルカンさん(WALHI[※1]全国執行委員長)
■イスワディ・アブドゥル・サリムさん(コトパンジャン裁判原告団事務局長)
■テルマ・マラナンさん(PCAD[※2]議長)
[※1]WALHI:インドネシア環境フォーラム、インドネシアで最大の環境NGO
[※2]開発代案のための住民連合。ODAで建設されたフィリピン・バタンガス国際港の被害者住民組織

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 2011年7月30日東京で、「原発輸出をやめよ!ODAを問う国際連帯シンポジウム」が開かれました。主催したのは、同実行委員会とコトパンジャンダム被害者住民を支援する会。第41回全交大会参加者も交え、インドネシア、フィリピンからの参加者とともにODA中止−原発輸出反対を訴えました。

●主催者報告 >>
●WALHI報告 ”We(Indonesia) No Need NPP(Nuclear power plant)”  >>

■ 「国益ODA」を告発

 シンポジウムの企画は、昨年6月29日に外務省が「開かれた国益の増進―ODAのあり方に関する検討 最終とりまとめ」を公表したことが発端です。
 この新たな方針は、過去のODAを「慈善活動」と切り捨て、グローバル資本の利益を「世界の共同利益」にすり替え、NGOを買収してODA推進の「オール・ジャパン」体制構築を提言するものです。

 「援助」の建前すらかなぐり捨てたODAを許すならば、コトパンジャンのような被害者を激増させ、日本はNGOを含めて侵略者として糾弾されることになります。この危機意識から、インドネシア、フィリピンなどアジア諸国のODA被害者を招き、「オール・ジャパン」ODAを告発するシンポジウムが企画されました。

 福島原発事故は、「原発輸出反対」というスローガンを付け加えさせることになりました。史上最悪級の事故を起こしながら、ODAを武器に原発輸出を継続するグローバル資本への批判が高まったからです。

 このような情勢の中で、急きょ、インドネシアの原発建設に反対する運動を組織しているワルヒ(インドネシア環境フォーラム)のベリー・フォルカン全国執行委員長をシンポジウムのパネラーとして招請しました。

■ 3か国から訴え
 
 シンポジウムでは、コトパンジャン・ダム被害者住民を代表して原告団事務局長イスワディ・サリムさんが、強制移転から15年経った現在も生活悪化が続いており、最大の収入源であるゴム園が次々と売却されていると報告しました。

 フィリピンの開発代案のための住民連合議長テルマ・マラナンさんは、バタンガス港開発による強制移転により、17年後の現在もなお土地の所有権をめぐる裁判闘争が継続しているとアピールしました。

 また、ベリーさんは、インドネシアには豊富な電力資源があるにもかかわらず、外国資本の主導で原発建設が進められており、政府は地元住民にマスコミを使って原発の安全性を宣伝するとともに、奨学金などの買収策で建設合意を取り付けようとしていることを暴きました。会場から、韓国の反原発活動家のオ・ヨンエさんも、原発輸出反対運動に取り組む決意を表明しました。

 報告と討議を通じて、ODAが犠牲になった人々を今も苦しめ続けており、被害を生み出さないために「オール・ジャパン」ODAによる原発輸出を阻止する国際連帯の闘いが重要だと確認されました。全世界の反原発運動との連帯、ODA中止―原発輸出反対の闘うネットワークづくりが呼びかけられました。

【コトパンジャン・ダム被害者裁判原告団事務局長/イスワディ・サリムさん】

 日本のODAによるダム建設で、先祖代々の土地から離されることになった。ダム湖には多くの動物たちが沈み、犠牲になってしまった。2つの川(ダムによってせきとめられたカンパールカナン川とマハット川)はこれまで地域の人々の暮らしを豊かにしてくれていた。だが、ダム建設により10か村が沈み、人々は苦しむことになる。

 移転は軍の強制の下で行われた。移転先は人が住めるところではなかった。しかも、政府から与えられた家はアスベストの屋根であった。アスベスト屋根から流れる水を飲んでいた。そのためもあり、皮膚病や下痢などにかかる人が出てきた。

 移転から15年が経つが、いまだに問題は解決されずに続いている。移転に際して与えられた2ヘクタールのゴム園は収穫できる状態になかった。現在の問題はゴム園の売却が進行していること。これは、貧困のためにゴム園を手放さざるをえなくなっているためだ。たとえば、タンジュン・パウ村では100世帯、村の30%の人がゴム園を売ってしまった。

 たしかに裁判では敗訴となった。だが、日本で裁判ができたこと、そのことで改善策が出てきたことを住民に説明してきた。補償額の獲得だけが目的ではなく、住民の意識も変わってきている。控訴審勝利に支援をお願いしたい。

【インドネシア/インドネシア環境フォーラム全国執行委員長/ベリー・フォルカンさん】

 インドネシアは活火山地帯にある。こんなところに原発を作ることは許されない。ジャワ島中部に原発を建設する計画があった。これまでに2回のフィージビリティ・スタディ(実行可能性調査)が行われたが、反対運動のためにそれ以上進んでいない。この地域は何度も地震が起こっており、危険なところでもある。その代替地としてスマトラ島南東部のバンカ・ベリトゥン州への建設が浮上している。

 インドネシアにとって、エネルギーの不足が問題なのではなく、そのコントロールの方が重要なのだ。インドネシア政府は原発について経済問題との認識があり、それは危険なことといえる。すなわち、石油も天然ガスも豊富にあるのに、こうした豊富な資源を輸出のために使うことによりエネルギー不足を生じさせているからである。

 原発をめぐって政府側の情報とわれわれの情報は対決関係にある。政府側はバンカ・ベリトゥンの住民に奨学金を出すことをテレビで宣伝し、セミナーで原発の安全を強調している。それらに対抗して説得活動を続けている。
 われわれは脱原発のアジア太平洋地域の構築を呼びかけている。

【フィリピン/開発代案のための住民連合議長/テルマ・マラナンさん】

 マニラの開発が限界になり、その周辺の経済開発を行うためにカラバルソン開発計画(1980年代以降のルソン島中南部のインフラ整備計画)が出てきた。バタンガス港開発はその一環だ。開発のために日本のODAが使われ、70%を占めている。

 開発により1994年6月に1568世帯の住民が強制移転させられた。当時、私は地区のリーダーをしていたが、言葉に言い表せない痛みを感じ、どうしたらいいのかも分からない状態にあった。日本のODAで初めての暴力事件にもなった。

 村山首相時代に、日本に行って窮状を訴えた。さらに、フィリピン政府各官庁へのロビー活動を行い、裁判でも闘ってきた。2002年には最高裁で和解し、6500万ペソ(約1億2千万円)の支払い命令を勝ち取った。

 ところが、土地所有権をめぐる問題が解決していない。地方裁判所に差し戻され、現在も係争中である。長い時間をかけて40ヘクタールの土地を取り戻しても自分たちの墓場になってしまうかもしれない。それほど厳しい闘いをしている。いまだに軍隊や警察が運動を弾圧してくる。こうしたことはコトパンジャンダムの闘いも同じことだ。

 ODAは資本のためのものだ。問題の本質は帝国主義にある。政府と官僚も一緒になって資本の蓄積と資本の侵略を強めており、これとの闘いが必要なのだ。


コトパンジャン・ダム
被害者住民を支援する会

〒162-0815
東京都新宿区筑土八幡町2-21-301
TEL/FAX 050-3682-0769
(IP電話に変更しました)

www.kotopan.jp,  info@kotopan.jp

 

ボランティアスタッフ募集中です。お気軽にご連絡ください。


Last Update : 2014/1/18
Since     : 2002/8/3 
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日本で初めてのODAを問う裁判

日本のODA(政府開発援助)によるコトパンジャン・ダム建設で、インドネシア・スマトラ島では23,000人がふるさとを強制的に奪われました。5,396人の現地住民が原状復帰と補償を求め、日本政府・JICA(国際協力機構)・東電設計(=東京電力グループ)を被告として、裁判中です。
 日本政府はODAの基本理念を「開かれた国益の増進」としています。「援助」とは名ばかりです。「国益」=グローバル大企業の利益のために、地元住民を犠牲にした「海外版ムダな公共事業」を行い、さらには原発までODAを利用して輸出しようとしているのです。
 「国益」のための「援助」、住民泣かせの「援助」はやめさせましょう。ぜひ、裁判にご支援お願いします。



(ダムの呼称について)

 インドネシア・スマトラ島の住民・自治体・マスコミは『コトパンジャン(Kotopanjang)』と言います。 
 一方、日本政府・インドネシア政府は本件ダムを『コタパンジャン(Kotapanjang)』としています。
 Kotoは地元ミナンカバウ語、Kotaはジャワ語でいずれも「町」を意味します。現地の言葉・文化を尊重する立場から、私達は『コトパンジャン・ダム』としています。