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コトパンジャン・ダム裁判の経過


2002年9月・2003年3月、インドネシア住民8396人が提訴



 コトパンジャン・ダムは、インドネシア・スマトラ島中部のほぼ赤道直下にある、高さ58m・堤長258mの水力発電ダムです。
 1996年に日本のODA(政府開発援助)約312億円で、東電設計鰍ノよる設計・建設監理のもとで建設されました(東電設計鰍ヘ東京電力グループの会社で、福島第一原発の設計も行っています)。水没面積は124平方km、山手線内の約2倍です。
 「希望の村」と呼ばれるほどみのり豊かなコトパンジャン地域がダムに沈められ、約5000世帯・23000人が家や農地を奪われました。強制移住先は、水がない、農業ができないなど、まともな生活できる場所ではありません。「日本の援助で建設されたコトパンジャン・ダムは私たちに恩恵をもたらしたのではなく、ただ長い苦しみと被害だけをもたらした」「インドネシア政府と日本政府がコトパンジャン住民をゆっくりと殺そうとしている」 と住民たちは語ります。 

2009年9月、東京地裁が不当判決



 東京地裁では約7年かかってにわたり審理が行われました。口頭弁論は25回を数えました。
 参議院ODA特別委員会の与野党5人の国会議員が現地調査に入ったり、中学校の副読本に掲載されたりなど、社会的にも注目される裁判となりました。
 しかし東京地裁・中村也寸志裁判長はODAダムがもたらした強制移住・生活破壊・自然環境破壊には全く目を向けないばかりか、事実認定さえ行わず、被告の日本政府・東電設計・JICAの主張だけを丸飲みした不当判決をくだしました。
 人権感覚欠如、「援助」に関する国際的ルールや常識からもかけ離れた判決です。

・東京地裁不当判決に対する抗議声明 >>

原告・被告・求める判決


<原告(控訴人)>
インドネシアのダム被害者住民 5921人
WALHI(インドネシア環境フォーラム[インドネシア最大の環境保護NGO])

<被告(被控訴人)>
日本国、JICA(国際協力機構)、東電設計

<求める判決>
ダム撤去(原状回復)勧告をインドネシア政府に行うこと
損害賠償(住民ひとりあたり500万円)
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現地から:コトパンジャン住民は日本の最高裁決定を強く非難する(2015/5/6)

 コトパンジャン住民の長い道のりは、住民の被害に目を向けようとしない日本の司法の決定により、最高裁判所にて終わりを迎えた。・・・私たちコトパンジャン住民はこの日本の最高裁判決を強く非難する。 詳しくはこちら >>

国際的に恥ずべき最高裁決定に抗議する(2015/3/20)

 2015年3月4日、最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)は、被害者住民(5921人)とインドネシア環境フォーラム(ワルヒ)に対して、申し立て不受理と上告棄却の決定を行った。「支援する会」は日本政府、JICAらに対する闘いを継続・強化することを表明します。
 詳しくはこちら >>

40万円カンパが超過達成(2013/6/30)

訴額を1人500万円から1万円へと大幅に下げた結果、訴訟費用は40万円となりましたが、住民の皆さんには過大な負担となるために、日本の支援者の皆さんにカンパをお願いしてきました。その結果、44万1千円のカンパが寄せられました。ありがとうございました。
 詳しくはこちら >>

40万円カンパと公正判決要求署名に全力で取り組もう(2013/4/22)

東京高裁の訴訟救助申し立て却下に満腔の怒り:3月14日、東京高裁はコトパンジャン住民5609人による訴訟救助申立を却下し、7日以内に6814万6415円の上告申立手数料を支払うよう命令した。 詳しくはこちら >>

東京高裁の不当判決に抗議する(2012/12/26)

 強制移住容認、住民の被害や人権を無視、国際ルール無視、環境破壊容認の不当判決に抗議します。原告はただちに上告手続きを進めることにしました。 詳しくはこちら >>

東京高裁・控訴審の経過(第1回〜第3回口頭弁論)

 シリーズ第2回目で述べたSAPS(援助効果促進調査)が、JBICによる正式な調査であることを、控訴審では新証拠「SAPS起案書」によって明らかにしています。(2012年1月7日) 詳しくはこちら >>

東京高裁・第3回口頭弁論(2012年9月14日)

 第3回口頭弁論では、タンジュン村のヘルマンさんが意見陳述を行い、ズサンなコトパンジャン・ダム建設による被害の実態を明らかにしました。
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東京高裁・第2回口頭弁論(2012年6月22日)

 原告団事務局長のイスワディさんが裁判長の要請に沿って、(1)移転前の生活とダム建設の被害、(2)現地の人たちが裁判をすることになった経緯等を約2時間にわたって証言しました。
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東京高裁・第1回口頭弁論(2012年3月2日)

 J弁護団は477ページにわたる控訴理由書を提出し、地裁判決の問題点を陳述しました。原告アリ・アムランさんが意見陳述を行い、裁判かにコトパンジャンダム建設の被害を訴えました。 詳しくはこちら >>

コトパンジャン裁判の今[第3回]

 シリーズ第2回目で述べたSAPS(援助効果促進調査)が、JBICによる正式な調査であることを、控訴審では新証拠「SAPS起案書」によって明らかにしています。(2012年1月7日) 詳しくはこちら >>

コトパンジャン裁判の今[第2回]

 JBIC(国際協力銀行、現在は統合されてJICA)は2002年に行ったSAPS(援助効果促進調査)報告書を作成しています。ここには軍隊による強制移転・不十分な補償・移転先の困難な生活の事実が書かれています。控訴審ではこのSAPSによる調査結果をもとに被害事実を整理しています。(2011年11月19日) 詳しくはこちら >>

コトパンジャン裁判の今[第1回]

 2011年5月31日、東京高裁での控訴審第1回進行協議が開催されました。これに先立ち原告側は480ページにも及ぶ控訴理由書を提出しました。控訴審の状況を数回に分けてお知らせします。(2011年10月16日) 詳しくはこちら >>

東京高裁で訴訟救助が決定。(2011年2月18日)

 不当判決後、原告は直ちに東京高裁に控訴しました。2011年2月には、訴訟救助(裁判手数料を支払うことが経済的に困難な者に対して、その費用を免除すること)の決定がくだされました。本裁判手数料は5,344万円にのぼります。

東京地裁による不当判決(2009年9月10日)

 提訴から7年、25回に渡る口頭弁論を経て2009年9月10日、判決が出されました。しかし民事49部(中村也寸志裁判長)は、被害事実さえ認定せず、強制移転・生活破壊・自然環境破壊に全く目を向けない不当きわまりない判決を言い渡したのです。被告の言い分だけを丸飲みした国策判決です。 詳しくはこちら >>

参議院ODA特別委員会が現地を視察(2006年8月)

 参議院ODA特別委員会の視察団が2006年8月21日、コトパンジャン現地を視察しました。当日、ダム・サイトには被害者住民約500人が集まり、国会議員に直訴しました。 詳しくはこちら >>

もっと詳しく知りたい方はこちらを

リーフレット

 2012年1月作成、A4×2ページ(PDF)
 こちらから >>

2002年提訴から東京地裁判決・控訴まで

 2011年5月作成、A4×38ページ (PDF-3.5MB)
 こちらから >>

コトパンジャン・ダム
被害者住民を支援する会

〒162-0814
東京都新宿区新小川町6-38 大曲マンション201
www.kotopanjang.jp  

 

ボランティアスタッフ募集中です。お気軽にご連絡ください。


Last Update : 2023/1/15
Since     : 2002/8/3




日本で初めてのODAを問う裁判

日本のODA(政府開発援助)によるコトパンジャン・ダム建設で、インドネシア・スマトラ島では23,000人がふるさとを強制的に奪われました。8,396人の現地住民が原状復帰と補償を求め、日本政府・JICA(国際協力機構)・東電設計(=東京電力グループ)を被告として、裁判を行いました。
 日本政府はODAの基本理念を「開かれた国益の増進」としています。「援助」とは名ばかりです。「国益」=グローバル大企業の利益のために、地元住民を犠牲にした「海外版ムダな公共事業」を行い、さらには原発までODAを利用して輸出しようとしているのです。
 「国益」のための「援助」、住民泣かせの「援助」はやめさせましょう。



(ダムの呼称について)

 インドネシア・スマトラ島の住民・自治体・マスコミは『コトパンジャン(Kotopanjang)』と言います。 
 一方、日本政府・インドネシア政府は本件ダムを『コタパンジャン(Kotapanjang)』としています。
 Kotoは地元ミナンカバウ語、Kotaはジャワ語でいずれも「町」を意味します。現地の言葉・文化を尊重する立場から、私達は『コトパンジャン・ダム』としています。