今回は「被害事実を裁判所に認定させる」意義について述べます。
コトパンジャン・ダム訴訟では控訴人(住民5,921名とインドネシア環境フォーラム(WALHI))の被控訴人(日本国、JICA、東電設計)に対する請求内容は、@勧告請求(環境の復元および住民の帰還・生活補償について十分な措置をとるようインドネシア共和国およびインドネシア国営電力公社に対し勧告するよう求めるもの)A損害賠償請求(住民1人あたり500万円の慰謝料を請求)B費用償還請求(WALHIがコトパンジャン地区の環境保全のために支出した費用約500万円の償還を請求するもの。インドネシア環境管理法に基づく請求)の3つに分かれます。
この請求の前提となるのは、ダム建設によって被害を被った住民の生活と自然環境の事実があることです。当然ながら被害が無ければ請求は成り立ちませんし、被害があれば、誰がその責任をとるのかということになります。公害や薬害訴訟のように適用される法律がなくても、被害事実が認定されれば、和解などで被害者が救済されることにつながります。2009年9月10日の東京地裁判決では、ダム被害の事実を一切認定していません。「あった」とも「なかった」とも言っていないのです。
控訴理由書では、この「被害事実の認定」のためにJBIC(国際協力銀行、現在は統合されてJICA)が2002年に行った「インドネシア共和国におけるコタパンジャン水力発電及び関連送電線建設事業のための国際協力銀行(JBIC)の援助効果促進調査(SAPS)中間報告書」(以下SAPS報告書)に記載されている調査結果等をもとに整理しています。このSAPSというのは「円借款の対象プロジェクト完成後の運営・維持管理は、借入人側の責任において行われます。しかし、個々のプロジェクトに関して何らかの改善措置が必要となった場合、あるいは期待した事業効果が発現されない場合など、借入人からの協力要請に応じ、協力の必要性・緊急性を検討した上で」「事業効果を持続あるいは一層高めていく上で支障となる問題を調査し、具体的な改善・解決策を提案することを主な目的」に「コンサルタントなどを雇用して」(JBICホームページ)実施している調査です。
コトパンジャン・ダム建設事業のSAPSもインドネシアのコンサルタント会社やNGOに委託して実施されました。彼らが現地に入り、住民にインタビューするなどして作成したこのSAPS報告書には@軍隊を使った強制移転があったA補償が不十分(市場価格の10分の1程度)、かつ不公平であるB代替住居は木製の壁、しっくいの床、アスベストの屋根という粗末なものであるC井戸は浅く、枯渇し、水質が悪く使用に耐えないDゴム園には約束された成木はほとんどなく収入を得ることができないE3年間の支給であったはずの生活手当は2年間に削減された等の事実が如実に記載されていました。
これは、JBICが正式の手続きによって決定した調査報告であり、これを踏まえてその後,ダム被害を改善するアクション・プランが実施されたのですから、JBIC自身が被害を認めたことになるはずですが、あろうことか1審においてJBICの証人は「これは、コンサルタントが住民にヒアリングしたものをそのまま書いているだけでございまして、私どもが事実を認定したという認識は持っておりません」と陳述し、これを否定しています。
控訴審では、一層具体的に被害事実を鮮明にするとともに、新証拠をもとにJBICのウソを糺していきます。次回これについて解説します。
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Last Update : 2023/1/15
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日本で初めてのODAを問う裁判
日本のODA(政府開発援助)によるコトパンジャン・ダム建設で、インドネシア・スマトラ島では23,000人がふるさとを強制的に奪われました。5,396人の現地住民が原状復帰と補償を求め、日本政府・JICA(国際協力機構)・東電設計(=東京電力グループ)を被告として、裁判中です。
日本政府はODAの基本理念を「開かれた国益の増進」としています。「援助」とは名ばかりです。「国益」=グローバル大企業の利益のために、地元住民を犠牲にした「海外版ムダな公共事業」を行い、さらには原発までODAを利用して輸出しようとしているのです。
「国益」のための「援助」、住民泣かせの「援助」はやめさせましょう。ぜひ、裁判にご支援お願いします。
(ダムの呼称について)
インドネシア・スマトラ島の住民・自治体・マスコミは『コトパンジャン(Kotopanjang)』と言います。
一方、日本政府・インドネシア政府は本件ダムを『コタパンジャン(Kotapanjang)』としています。
Kotoは地元ミナンカバウ語、Kotaはジャワ語でいずれも「町」を意味します。現地の言葉・文化を尊重する立場から、私達は『コトパンジャン・ダム』としています。