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コトパンジャン住民支援と反ODAの活動


現地で最高裁決定を説明、今後の活動方針を議論〜闘いは新たな段階に(2015年5月15日)

 不当な最高裁決定を受けて、弁護団と「支援する会」は直接現地に足を運び、裁判結果の説明を行うとともに、今後の活動方針を話し合いました(5月2日〜5月5日)。
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「支援する会」総会を開催、新たな運動体COA-NETを結成(2014年12月12日)

 「支援する会」は、昨年12月12日に第12回総会を開催しました。突然の衆院解散・総選挙で選挙運動の最終段階という時期でしたが、多くの方々に参加していただきました。
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闘い続ける意義を深めたインドネシア訪問(2014年4月24日〜5月8日)

 今回の現地訪問の滞在先はインドネシアの首都ジャカルタ、原発建設予定地の一つであるバンカ島、リアウ州の州都プカンバル、西スマトラ州の南部コト・バル地域などである。 詳しくはこちら >>

2014年インドネシア・スタディツアーのお知らせ(2014年3月)

 「支援する会」事務局では、4月末〜5月のゴールデンウィーク期間中、今年初のスタディツアーを企画しています。今回のスタディツアーは、豪華盛りだくさん、2本立てです。ぜひこの機会にご参加ください。お早めに!
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『沈んだ10の国の歴史物語』―西スマトラ現地紙がコトパンジャン・ダム問題を特集(2014年1月)

 17年前、西スマトラとリアウの10の村が、日本政府の借款によるコトパンジャン水力発電所ダム建設の為にインドネシア政府によって沈められた。
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「コトパンジャン・ダム被害者住民を支援する会」総会(2013年11月29日)

 第11回総会は、予定通り11月29日に東京で開催され、活動総括・方針、決算・予算、役員人事について承認・決定しました。
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武器輸出三原則の見直し・武器輸出・原発輸出をやめよ(2013年11月29日)

 武器輸出三原則の見直し、ODAの軍事・原発利用に反対して、11月29日に政府・JICAに申し入れを行う予定です。ぜひご賛同ください。
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東京ZENKOでODA・原発輸出反対の討議(2013年7月27-28日)

 東京ZENKO(全交=平和と民主主義をめざす全国交歓会)が7/27~28に日比谷公会堂などを会場として開催されました。反原発・非正規労働撤廃などのテーマと合わせ、「支援する会」も実行委員会として反ODAの分野別討議を担いました。
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ODAダムに沈められた村写真展(2013年5月25日・7月6-7日)

 5月25日(土)、東京都江東区で写真展「ODAダムに沈められた村」を開催しました(上写真)。「本当のフクシマ」(全交)との共催です。当日は、約80人の皆さんにご覧いただきました。
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最高裁勝利にむけて公正判決署名に全力で取り組もう

 最高裁あての公正判決要請署名に各界から多くの賛同をお寄せいただきました。ここにご紹介します。引き続き、署名へのご協力をよろしくお願いします。
●賛同人のみなさん ●署名賛同のお願い
●WEB署名 ●署名用紙のダウンロード ●インドネシア語署名(参考)

村井吉敬先生のご冥福をお祈りします(2013年3月23日)

 2013年3月23日、日本における東南アジア研究の第一人者でODA批判でも知られた村井吉敬先生(早稲田大学教授・上智大学名誉教授)が69歳の若さでお亡くなりになりました。
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外務省前コトパンジャン路上写真展-反原発1000000人大占拠(2012年11月11日)

 外務省前でコトパンジャン路上写真展を行い、「原発輸出をやめろ「ODAを原発輸出に使うな」「東京高裁判決に向け裁判支援を」と訴えました。  詳しくはこちら >>

ODAを問う国際連帯シンポジウム(2012年7月29日)

 フィリピン・インドネシアからのゲストを招き、「第2回ODAを問う国際連帯シンポジウム」を大阪で開催しました。「国益」ODA路線や原発輸出を許さないために、国際的なネットワーク作り・連帯行動をどう作り出していくかなどが討議されました。 詳しくはこちら >>

国会包囲、1万人以上のヒューマンチェーン(2012年3月11日)

 「支援する会」は、3月11日の国会包囲ヒューマンチェーンや2月11日代々木公園の脱原発集会に参加。原発輸出反対、コトパンジャンもフクシマも、加害者は同じ東電と訴えを広げています。 詳しくはこちら >>

コトパンジャン・フクシマ・ジュゴン保護共同写真展を開催(2012年2月25日、大阪)

 広河隆一・非核写真展、ジュゴン保護キャンペーンセンターと共催で開催した写真展には230名の方に参加いただきました。コトパンジャン公正判決要請署名も54筆。支援する会のスタッフになっていただける方が現れるなど、支援の広がりを得られました。 詳しくはこちら >>

原発輸出反対!を掲げ、経産省「人間の鎖」に参加(2011年11月11日)

 3月11日の原発事故からちょうど8ヶ月目にあたる11月11日の午後7時、東京・霞ヶ関の経済産業省が「人間の鎖」で囲まれました。「支援する会」も「原発輸出反対!」ののぼりを掲げ、参加しました。 続きはこちら >>

団結まつりで裁判支援の訴え(2011年11月)

 10/23東京・亀戸中央公園。11/6大阪・扇町公園で開催された「団結まつり」で、200筆の東京高裁あての公正判決要請署名が寄せられました。 続きはこちら >>

フリースペースたんぽぽ(横浜)で写真展開催(2011年9月)

 9月中旬に、横浜市内にある「フリースペース たんぽぽ」でコトパンジャン・ダム裁判の写真展をしていただきました。開設されている空間(事務所)の壁やパーテーションを利用しての常設の写真展です。 続きはこちら >>

コトパンジャン現地訪問報告(2011年8月)

 今回の現地訪問には弁護士2人と支援スタッフ3人が参加しました。スマトラ島で活動した期間は、8月17日から8月20日までの実質4日間でした。プカンバルへ到着した17日はインドネシア共和国の独立記念日で、町には赤と白の国旗が飾られ、テレビでジャカルタの華やかな記念式典が中継されていました。 続きはこちら >>

「原発輸出をやめよ!ODAを問う国際連帯シンポジウム」を開催(2011年7月)

 2011年7月30日東京で、「原発輸出をやめよ!ODAを問う国際連帯シンポジウムが開かれました。インドネシア・フィリピンからの参加者とともにODA中止・原発輸出反対を訴えました。 続きはこちら >>

軍隊が住民を排除し、ODA史上初めての流血事件
フィリピン・バタンガス国際港のODA被害者との交流(2011年1月)

 2011年1月末、フィリピン・バタンガスを訪問しました。首都マニラから南へ約100kmの場所にあるバタンガス国際港は、トヨタなど日本企業の「進出」と合わせ、その輸出入のために建設されました。日本主導のプロジェクトで、ODAとして200億円以上が投じられました。 続きはこちら >>

インドネシア・ジャワ島中部−クドゥンオンボ・ダム、ウオノギリ・ダム被害者を訪問(2010年11月)

 2010年11月2日から5日にかけてクドゥン・オンボ・ダムを再訪問するとともに、直線距離で南へ約100キロメートル離れたウオノギリ・ダムを訪問した。前回(20107月)の訪問時には長期にわたる闘いにより、州知事から一定の移転補償を引き出したクドゥン・プリン村のリーダーであるダルソノ氏との会談を実現した。  続きはこちら >>



コトパンジャン・ダム
被害者住民を支援する会

〒162-0814
東京都新宿区新小川町6-38 大曲マンション201
www.kotopanjang.jp  

 

ボランティアスタッフ募集中です。お気軽にご連絡ください。


Last Update : 2023/1/15
Since     : 2002/8/3




日本で初めてのODAを問う裁判

日本のODA(政府開発援助)によるコトパンジャン・ダム建設で、インドネシア・スマトラ島では23,000人がふるさとを強制的に奪われました。8,396人の現地住民が原状復帰と補償を求め、日本政府・JICA(国際協力機構)・東電設計(=東京電力グループ)を被告として、裁判を行いました。
 日本政府はODAの基本理念を「開かれた国益の増進」としています。「援助」とは名ばかりです。「国益」=グローバル大企業の利益のために、地元住民を犠牲にした「海外版ムダな公共事業」を行い、さらには原発までODAを利用して輸出しようとしているのです。
 「国益」のための「援助」、住民泣かせの「援助」はやめさせましょう。



(ダムの呼称について)

 インドネシア・スマトラ島の住民・自治体・マスコミは『コトパンジャン(Kotopanjang)』と言います。 
 一方、日本政府・インドネシア政府は本件ダムを『コタパンジャン(Kotapanjang)』としています。
 Kotoは地元ミナンカバウ語、Kotaはジャワ語でいずれも「町」を意味します。現地の言葉・文化を尊重する立場から、私達は『コトパンジャン・ダム』としています。