ホームページ休止のおわびと再開のご挨拶2015年5月31日付の記事「現地で最高裁決定を説明、今後の方針を議論〜闘いは新たな段階に」を掲載してから、このホームページは休止状態になり、今日に至りました。注目していただいていた皆様の期待を裏切ることになり、本当に申し訳ありませんでした。深くおわびいたします。 休止期間中においても、事務局を維持し、最低限の活動は継続してきました。特に力を注いだのは裁判記録の整理と保存、公表の活動です。その成果が2019年2月に出版された『ODAダムが沈めた村と森―コトパンジャン・ダム反対25年の記録』(緑風出版)でした。そして、再度コトパンジャンの現地に赴き、住民の皆さんの生活実態を把握し、必要な支援を行おうとしていました。その矢先に発生したのが、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大―渡航の制限(2020年2月)です。それ以降今日まで、現地との連絡もままならない状況で、関係者の安否確認を行うのが精一杯でした。 現地と結んだ「支援する会」の活動が困難になる中で、わたしたちは新たな問題に直面することになりました。それが2021年5月に出版された佐藤仁著『開発協力のつくられ方 自立と依存の生態史』(東京大学出版会)への対応です。この本の中ではコトパンジャン・ダム裁判の意義が全否定されていました。事務局ではその主張を詳細に検討し、約1年かけて事務局長名の批判論文にまとめました。それを公表するため、ホームページを再開することにした次第です。 批判論文は2回(今回掲載する1回目が第1章の18ページと参考資料の裁判年表と報告書の一覧表、2月に掲載する2回目は第2章から終章までの17ページ)に分けて掲載します。そして3月にはシリーズ3回目として現地で困窮する「2世、3世」の実態を記録したルポ(著者:坂井美穂)を掲載する予定です。忌憚のないご意見をお寄せください。 また、ホームページには、論文に関係するコトパンジャン・ダム裁判の書証等を掲載しました。そして他のページについても順次更新する予定です。 ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。 2023年1月15日 |
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www.kotopanjang.jp
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Last Update : 2023/1/15
Since : 2002/8/3
日本で初めてのODAを問う裁判
日本のODA(政府開発援助)によるコトパンジャン・ダム建設で、インドネシア・スマトラ島では23,000人がふるさとを強制的に奪われました。8,396人の現地住民が原状復帰と補償を求め、日本政府・JICA(国際協力機構)・東電設計(=東京電力グループ)を被告として、裁判を行いました。
日本政府はODAの基本理念を「開かれた国益の増進」としています。「援助」とは名ばかりです。「国益」=グローバル大企業の利益のために、地元住民を犠牲にした「海外版ムダな公共事業」を行い、さらには原発までODAを利用して輸出しようとしているのです。
「国益」のための「援助」、住民泣かせの「援助」はやめさせましょう。
(ダムの呼称について)
インドネシア・スマトラ島の住民・自治体・マスコミは『コトパンジャン(Kotopanjang)』と言います。
一方、日本政府・インドネシア政府は本件ダムを『コタパンジャン(Kotapanjang)』としています。
Kotoは地元ミナンカバウ語、Kotaはジャワ語でいずれも「町」を意味します。現地の言葉・文化を尊重する立場から、私達は『コトパンジャン・ダム』としています。
ルポ 貧困の継承
はじめに
1996年に住民移転が完了し、25年余が経過した、コトパンジャン・ダム建設によって移転を余儀なくされた村々。当時大学でインドネシア語を専攻していた筆者は、2003年以降、幾度となく現地に足を運び、人々の生活を見、話に耳を傾けてきた。日本のODAによるこのダム開発がもたらした影響については、これまで様々なアクター(事業関係者、研究者、NGOsなど)によって肯定的にも否定的にも議論がなされてきたことは承知している。しかし筆者は、研究者や大学関係者といった肩書きではなく、ただ純粋に、現地の人々と暮らしを共にし、一時的でも苦楽を共にすることで、彼らの社会の断片だけでも何とかして感じ取りたいといった、共感型のただのpemerhati(インドネシア語で観察者、オブザーバーの意)として、人々に関わってきたつもりである。今回は、そんな筆者の四方山話に少しばかりお付き合いいただければ、と思い綴っている。
それは、いつものように現地の村に滞在していた際の、ふとした気づきだったように思う。西スマトラ州とリアウ州をつなぐ主要な国道沿いにあるその村では、国道に沿って採石が毎日のように行われており、それが日常の風景の一部であった。採石や薪拾い、農漁業や商売の手伝いといった、インフォーマルセクターと呼ばれる形式の生業が、よく見るとそこかしこに溢れている。「あの人たちはまだ若く見えるね」と、いつも現地滞在のサポート役を務めてくれるI氏に尋ねると、「主にpecahan KK(kepala keluarga)だから」と彼は教えてくれた。その時初めて意識するようになったその言葉は、インドネシア語でKKはKepala Keluarga、世帯(主)、pecahanとは分離した者の意である。すなわち、移転してきた世帯から新村にて独立し、新世帯となった世帯のことだ。<<続きを読む