日本のODAを変えたコトパンジャン・ダム裁判 佐藤仁著『開発協力のつくられ方』 ―「第9章『問題案件』のその後」 批判(1) |
コトパンジャン・ダム被害者住民を支援する会事務局長 遠山勝博 はじめに 2021年5月に『開発協力のつくられ方 自立と依存の生態史』(佐藤仁 東京大学出版会)が刊行された。この本は「シリーズ『日本の開発協力史を問いなおす』[全7巻]」の第7巻である。巻末の「叢書の構想」には、このシリーズが「JICA緒方貞子平和開発研究所 において、2016年9月に発足した『日本の開発協力の歴史』研究プロジェクトの成果」であり、研究者の下村恭民(法政大学名誉教授)、佐藤仁(東京大学教授)、加藤宏(国際大学教授)、高原昭生(研究所長)の4人がプロジェクトの運営委員に就任。「歴代所長はじめ研究所をあげて執筆者をサポートする体制」の事務局が構成され、「研究者とJICA職員から構成される研究会を定期的に開催し、発表とフリーディスカッションを繰り返すことによって、各巻の内容を相互に鍛え上げた」(328頁)ものだと説明されている。「各巻はそれぞれの執筆者―第一線の研究者ないし最前線の実務者である―による単著として執筆された」(326頁)とされているが、上記の経過から2024年に発足50年を迎える国際協力機構(JICA) が、組織を挙げて刊行した「開発協力50年史」であることは明らかだ。 第7巻は、第1巻の「日本型開発協力の形成―政策史1・1980年代まで」(著者 下村恭民)、第5巻「インフラ協力の歩み―自助努力支援というメッセージ」(著者 山田順一)に次いで発刊された。そして、この巻は「『自立と依存』というキーワードの下に、日本の開発協力がとりわけ諸外国や市民社会などとのかかわりの中で『つくられてきた』面に着目し、従来の援助論の『当たり前』を問いなおす」(『叢書の構想』323頁、324頁)ことを主題に掲げている。 JICAが組織をあげて開発協力の専門家をバックアップし、自らの半世紀を振り返る歴史書を編纂・刊行することについて、とやかく言うつもりはない。しかし看過できないのは、この本の「第9章『問題案件』のその後―軌道の変化をもたらしたものは何か」(243頁〜269頁)でのコトパンジャン・ダム・プロジェクト に関する記述である。それは、コトパンジャン・ダム裁判の意義を全否定するものだ。 全文はこちらから>> |
資料1:コトパンジャン・ダム裁判年表 |
資料2:調査報告書の一覧 |
日本のODAを変えたコトパンジャン・ダム裁判 佐藤仁著『開発協力のつくられ方』 ―「第9章『問題案件』のその後」 批判(2) |
第2章 「優良な案件」という評価に誘導する「カリミ・藤倉調査報告書」 第1章では控訴理由書を抜粋しながら、「カリミ・中山調査報告」が極めて政治的な意図の下に作成されたものであり、そしてその重要な根拠の一つが先の報告書を「否定」する「新カリミ・中山報告書」だったのだが、この報告書が東京地裁判決以前に公表されなかったため、裁判所の誤った事実認定が行われた一因になったことを述べた。では、2018年3月にカリミと藤倉良が中心となって作成・公表した「インドネシア、コトパンジャン・ダムによる住民移転の長期的評価(調査報告)」[1](以下『カリミ・藤倉調査報告書』と略す)はどうだろうか。 「カリミ・中山調査報告書」以来、この報告書の中に、はじめてJBICの「事後評価報告書」(第三者評価報告書)の評価が登場した。それは、 |
〒162-0814
東京都新宿区新小川町6-38 大曲マンション201
www.kotopanjang.jp
ボランティアスタッフ募集中です。お気軽にご連絡ください。
Last Update : 2023/1/15
Since : 2002/8/3
日本で初めてのODAを問う裁判
日本のODA(政府開発援助)によるコトパンジャン・ダム建設で、インドネシア・スマトラ島では23,000人がふるさとを強制的に奪われました。8,396人の現地住民が原状復帰と補償を求め、日本政府・JICA(国際協力機構)・東電設計(=東京電力グループ)を被告として、裁判を行いました。
日本政府はODAの基本理念を「開かれた国益の増進」としています。「援助」とは名ばかりです。「国益」=グローバル大企業の利益のために、地元住民を犠牲にした「海外版ムダな公共事業」を行い、さらには原発までODAを利用して輸出しようとしているのです。
「国益」のための「援助」、住民泣かせの「援助」はやめさせましょう。。
(ダムの呼称について)
インドネシア・スマトラ島の住民・自治体・マスコミは『コトパンジャン(Kotopanjang)』と言います。
一方、日本政府・インドネシア政府は本件ダムを『コタパンジャン(Kotapanjang)』としています。
Kotoは地元ミナンカバウ語、Kotaはジャワ語でいずれも「町」を意味します。現地の言葉・文化を尊重する立場から、私達は『コトパンジャン・ダム』としています。