◆コトパンジャン住民はこの日本の最高裁決定を強く非難する
Perjalanan panjang rakyat Koto Panjang sudah berakhir di MA Jepang dengan
putusan hakim yang tidak melihat penderitaan rakyat Koto Panjang. Rakyat
melihat bagaimana hakim masih di bawah tekanan penguasa sementara keadilan
di kesampingkan. Kami rakyat Koto Panjang mengutuk keras keputusan hakim
di MA Jepang ini. Dan terimakasih kepada kawan-kawan Badan Pendukung dan
lawyer di Jepang yang banyak membantu proses perjuangan rakyat Koto Panjang
selama 15 tahun ini. Semoga kerjasama ini terus berlanjut.
Sekjen BPRKDKP Iswadi AS.
コトパンジャン住民の長い道のりは、住民の被害に目を向けようとしない日本の司法の決定により、最高裁判所にて終わりを迎えた。社会正義というものは隅に追いやられ、私たち住民は日本の司法がいかに権力者の圧力の下に存在するかということを目の当たりにした。私たちコトパンジャン住民はこの日本の最高裁決定を強く非難する。そして、この15年の私たちの闘いをたくさんサポートしてくれた日本の支援者のみなさん、弁護団の皆さんに感謝の意を申し上げる。これからもこの協力関係が続くよう願うばかりだ。
住民闘争協議会 事務局長イスワディAS
◆コトパンジャンの被害はますます長期に
コトパンジャン水力発電所ダム建設の被害者住民が訴えた裁判において、全面的に住民の訴えを棄却したという地裁、高裁、そして最高裁の決定が出たことは、コトパンジャンの被害をますます長引かせることとなるだろう。
裁判当初より、被害をこうむったコトパンジャン住民は一縷の望みを抱いていた。そして、その望みを現実のものにするため、アドボカシーに関わったインドネシアや日本のチーム、またインドネシアや日本の弁護団は最大限の努力をしてきた。
この裁判が、決して小さな問題ではないこと、そして裁判の成果が、司法における勝ち負けの問題でないこと、この結果が、インドネシアと日本の両国にとって大きな記録となることなどを考えると、住民の望みは、元より悲観がつきまとうものだったかもしれない。
行われた援助については、供与国の責任にはならないという理由で住民の訴えを棄却した最高裁判所の決定が出るまで、その望みはただの希望に過ぎなかっただろう。
しかし、たとえ司法の場で公にコトパンジャンの住民の裁判が負けたものだったとしても、それはこの間の闘いが同じ結果だったという意味では全くない。この裁判が始まった時から、共にダム建設の被害者であるという、住民の間に強い絆が結ばれたのだ。
そして、アドボカシー活動が続けられ、インドネシアと日本、両国民の間にも強い絆が結ばれた。日本の皆さんの、何物にも変え難い闘いに対して寄せられた深い関心と誠心誠意払われた犠牲。日本の皆さんに敬意を表したい。
今後に向け、この協力関係が他の活動においても続き、インドネシアと日本の絆をより強くできるよう願う。
アルフィアヌス (コトパンジャン被害者住民弁護団)
◆外国からの借款をうける際の、インドネシア国民にとっての重要な教訓になる(べきである)コトパンジャン・ダム問題
約15年、ワルヒとコトパンジャン・ダム建設被害者住民は正義を訴えるため、民事訴訟というプロセスを経て、日本の最高裁までたどり着きました。このことは、15の村々(リアウ州の13ヶ村と西スマトラ州の2ヶ村)での住民の生活に対してダム建設がもたらした影響と切っても切れない関係で、もはやその影響で、社会面、経済面、文化面など住民の生活の源とよばれるものは断たれてしまっています。そのため、我々と被害者住民はともに提訴を行いました。
ODAを通じて供与された日本政府からの借款を利用したダム建設は、15ヶ村の住民に対して強制的に彼らの故郷から移転させ、被害を生み出しました。それどころか現在に至るまで、その被害は次の世代にも続いています。生活がよりよくなるよう訴えた住民と、そしてダム建設で破壊され搾取された周辺環境を代表して訴えたワルヒ。水力で発電を行うためのダムが、結局のところ稼働の成果は最大限でもなく、電力の生産も効率的ではない。
このダム建設の影響で生じた住民被害は、その被害のもとが日本からやってきたものでも、日本政府の責任ではなく、インドネシア政府、国内での問題だという。「日の出ずる国」の最も高位な裁判所である日本の最高裁判所の判事の判断が、そのような内容であった。生じた環境破壊に対する影響も同じことで、裁判官たちにとって重要な判断材料とはならなかった。そして、法的根拠に欠けるということで、上告の訴えそのものが「棄却」されたのだ。
ワルヒと住民の訴えが最高裁によって棄却、認められず、さらに日本で行える方的手段はもうないとしても、コトパンジャン・ダム被害者住民の闘いがここで終わるということではない。司法以外のやり方が、草の根レベルだけでなく政府や行政機関レベルにおいて、これからのアドボカシーやその他活動を行うためのメインの選択となるだろう。インドネシア国内外においても、ワルヒとして焦点化している司法以外の重要な議題のひとつに、国内の人権委員会に働きかけるという課題がある。そのねらいは、ダム建設によって生じた15年も続いた悪影響で被害を受けた人たちの経済的・社会的・文化的権利を回復することにインドネシア政府が責任を負うように、委員会が政府に公式文書などで働きかけるようにすることである。
さらにワルヒとしても、現在、国家開発企画庁と集中的にコミュニケーションをとる努力をしている。特にインドネシア国内でのダム建設など、インフラ整備などの事業を行う上で、国民にとってコトパンジャン問題が教訓となるようとの目的からである。ダム建設の影響として生じた人権侵害などの問題に対して、インドネシア国家の責任が無視されてはいけないし、借款を供与した国の責任を野放しにしてもいけない。
コトパンジャン・ダム問題については、ワルヒとしては続けて国内外でのキャンペーンに取り組んでいく。願わくは、この問題が、インフラ開発からの悪影響として生じる人権侵害や環境被害にあまり抵抗力のない(あまり免疫のない)途上国や後進国にとって、重要な教訓となるよう望んでいる。また、途上国でのインフラ開発のための資金提供国である先進国に対してもキャンペーンを続けていくことが重要であると考える。そういった開発で生じた人権侵害や環境破壊に対して責任を負わせるように。
さらに、15ヶ村の被害者住民の闘いをサポートするために結成された住民の組織を強化していくことも大事なことである。彼らのやる気と、村々をつなぐ連帯を守るためにも住民の組織は必要である。すでに存在する住民組織が強化され、日本の支援の会とのコミュニケーションを含め、アドボカシー活動などにさらに関わっていくことが期待されている。
オデ・ラフマン(WALHIアドボカシー・広報担当)