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村井吉敬先生が死去 ご冥福をお祈りします (2013年3月23日)


 2013年3月23日、日本における東南アジア研究の第一人者でODA批判でも知られた村井吉敬先生(早稲田大学教授・上智大学名誉教授)が69歳の若さでお亡くなりになりました。
 村井先生は「コトパンジャン・ダム被害者住民を支援する会」の初代副代表であり、控訴審では専門家として意見書を提出されるなど、本裁判でも大変ご活躍されました。
 4月8日の葬儀ミサ・お別れの会には、聖イグナチオ教会の主聖堂を埋め尽くす約1000人の方々が参列されていました。村井先生に敬意をこめ、東京高裁に提出された意見書をここに掲載いたします。ご冥福をお祈りします。
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・コトパンジャン・ダム裁判(控訴審)に対しての意見書_2011年12月12日 (PDF) >>

コトパンジャン・ダム
被害者住民を支援する会

〒162-0815
東京都新宿区筑土八幡町2-21-301
www.kotopan.jp,  info@kotopan.jp

 

ボランティアスタッフ募集中です。お気軽にご連絡ください。


Last Update : 2014/1/18
Since     : 2002/8/3 
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日本で初めてのODAを問う裁判

日本のODA(政府開発援助)によるコトパンジャン・ダム建設で、インドネシア・スマトラ島では23,000人がふるさとを強制的に奪われました。5,396人の現地住民が原状復帰と補償を求め、日本政府・JICA(国際協力機構)・東電設計(=東京電力グループ)を被告として、裁判中です。
 日本政府はODAの基本理念を「開かれた国益の増進」としています。「援助」とは名ばかりです。「国益」=グローバル大企業の利益のために、地元住民を犠牲にした「海外版ムダな公共事業」を行い、さらには原発までODAを利用して輸出しようとしているのです。
 「国益」のための「援助」、住民泣かせの「援助」はやめさせましょう。ぜひ、裁判にご支援お願いします。



(ダムの呼称について)

 インドネシア・スマトラ島の住民・自治体・マスコミは『コトパンジャン(Kotopanjang)』と言います。 
 一方、日本政府・インドネシア政府は本件ダムを『コタパンジャン(Kotapanjang)』としています。
 Kotoは地元ミナンカバウ語、Kotaはジャワ語でいずれも「町」を意味します。現地の言葉・文化を尊重する立場から、私達は『コトパンジャン・ダム』としています。