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コトパンジャン現地訪問報告(2011年8月)

(写真1)
闘争協議会ムシャワラ
(写真2)
水量の少ないマハット川
(写真3)
干上がったダム湖
▲写真をクリックすると大きいサイズとなります

■ 特別な時期の訪問


 今回の現地訪問には弁護士2人と支援スタッフ3人が参加しました。スマトラ島で活動した期間は、8月17日から8月20日までの実質4日間でした。プカンバルへ到着した17日はインドネシア共和国の独立記念日で、町には赤と白の国旗が飾られ、テレビでジャカルタの華やかな記念式典が中継されていました。しかもこの時期は、断食の真只中でした。原告たちと現地の支援スタッフは、ほとんどが敬虔なイスラム教徒です。彼らは日の出から日没の礼拝まで一切食事や水を口にせず、外国人が泊まる大都市のホテルを除いて現地の食堂は営業していませんでした。

 カリム議長やイスワディ事務局長をはじめとした住民闘争協議会の役員の皆さんは、断食をしながら、訪問を暖かくサポートしてくれました。それに対して、わたしたちも現地の人たちへの負担を考え、昼間の調査時間を極力短縮し、会議は飲食が許されている夜間に行うようにしました。

■ 訪問の目的と成果

 訪問の最大の目的は、東京高等裁判所に提出した控訴理由書を補強する証拠を仕上げることでした。具体的には、@コト・トゥオ村のゴム園の売却状況の調査と証言に基づく報告書の作成、A強制移転が行われた当時に来日し、日本政府に住民の窮状を訴えたアニス氏からの聞き取り報告書の作成、B闘争協議会事務局長であり、タンジュン・パウ村の村議会議長のイスワディ氏からの聞き取り報告書の作成などでした。これらは全て弁護士により実施され、帰国後に報告書としてまとめられ、裁判所に提出されています。

 また、原告や現地の支援組織に対して裁判の進捗状況の説明が行われました。それはリアウ州の州都プカンバルでの法律扶助協会(KBH)アリ・フシン・ナスティオン議長(弁護士)との会談や、17日の夜9時過ぎから開催された闘争協議会のムシャワラ(会議、写真1)です。これらの会議により、控訴人たちの裁判継続への強固な意思が確認されました。

■ ダムの水位低下に驚き

 最近の訪問でも、ダムの水位低下が報告されてきましたが、乾季の終わりとはいえ今回は特別に顕著でした。西スマトラ州からダムに流れ込むマハット川は川底が見えるまで水量が低下しており、ダムの満水時には水没している旧タンジュン・バリット村の国道が完全に露出して、その周りに草が青々と茂っていました(写真2・3)。これで果たして発電が出来ているのか首を傾げざるを得ない状況でした。

(2010年8月30日、事務局・遠山)

コトパンジャン・ダム
被害者住民を支援する会

〒162-0815
東京都新宿区筑土八幡町2-21-301
TEL/FAX 050-3682-0769
(IP電話に変更しました)

www.kotopan.jp,  info@kotopan.jp

 

ボランティアスタッフ募集中です。お気軽にご連絡ください。


Last Update : 2014/1/18
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日本で初めてのODAを問う裁判

日本のODA(政府開発援助)によるコトパンジャン・ダム建設で、インドネシア・スマトラ島では23,000人がふるさとを強制的に奪われました。5,396人の現地住民が原状復帰と補償を求め、日本政府・JICA(国際協力機構)・東電設計(=東京電力グループ)を被告として、裁判中です。
 日本政府はODAの基本理念を「開かれた国益の増進」としています。「援助」とは名ばかりです。「国益」=グローバル大企業の利益のために、地元住民を犠牲にした「海外版ムダな公共事業」を行い、さらには原発までODAを利用して輸出しようとしているのです。
 「国益」のための「援助」、住民泣かせの「援助」はやめさせましょう。ぜひ、裁判にご支援お願いします。



(ダムの呼称について)

 インドネシア・スマトラ島の住民・自治体・マスコミは『コトパンジャン(Kotopanjang)』と言います。 
 一方、日本政府・インドネシア政府は本件ダムを『コタパンジャン(Kotapanjang)』としています。
 Kotoは地元ミナンカバウ語、Kotaはジャワ語でいずれも「町」を意味します。現地の言葉・文化を尊重する立場から、私達は『コトパンジャン・ダム』としています。