[第2回]では、JBICがSAPS(援助効果促進調査)中間報告書の存在を「コンサルタントが住民ヒアリングを書いているだけで私どもが認定したのではない」と主張していると述べました。控訴審では、これを覆す新しい証拠として「SAPS起案書」を提出しています。これは、2001年11月に作成されたものでJBICが内部的にこの調査を行うことを決定するための書面でした。
「SAPS起案書」には「本年5月、ジャカルタ駐在員事務所の委嘱調査にて、ローカルコンサルタントによる現地調査を実施した。その結果、特に住民移転関連について問題が生じていることが判明した。本庁としては、先ず問題点をインドネシア側へリマインドし、対応の検討・実施を促しているところであるが、一方で、以下示すように問題となっている事項が広範囲であることから、インドネシア政府か包括的且つ効果的に対応策を実施するように支援する必要がある。また、本件は完了後2年目の案件であり事後評価対象となっているが、大規模な住民移転が行われておりNGO等の注目を集めていることから、住民へのインパクト調査は慎重に実施する必要があり、そのためのデータ収集も本調査の中で実施する。」と記載されています。
そして、住民移転と環境問題について「@上水道の確保:移転村には生活インフラ整備の一環として井戸・簡易水道設備が建設されたが、水量・水質ともに飲料水供給の役割を果たしていない箇所が見受けられる。その為、村によっては、住民は飲料水をボトルで購入せざるを得ない状況に陥っている。政府による設備のリハビリが実施されているが、メンテナンス不足により再び機能しなくなっている。Aゴム園の整備:移転後の収入を確保するために、インドネシア政府により各戸2haの天然ゴムのプランテーション農園が整備されたが、十分な収入が得られていない箇所がある。天然ゴムの植樹のタイミングが悪かったこと、住民に対して充分な運営支援がなされていないことが理由として挙げられている。ゴム園のリハビリ及びパームオイルへの転換などが地方政府によって図られているが、必ずしも施行していない。」等と問題点を指摘し、「各村の現状及び問題点を詳細に確認し、各村の状況に応じて、住民参加型などサステナビリティのある対応策の検討・提言を行う必要がある」と調査の必要性を指摘しています。そして、この実施細則においては、「現状調査については、本年度中に中間レポートとしてまとめ、インドネシア側の対応策の検討及び実施状況をレビューした結果、提言・アクションプランを含めてファイナルレポートとしてまとめる」とされています。
これらのことからもSAPSが、インドネシア側のアクションプランを支援するためのJBICによる正式な調査であることが明らかとなります。裁判所はこれらの事実を正しく認定するべきです。
さらに、この「SAPS起案書」には、第1次借款契約に付された「3条件」の履行特約が記載されています。この「3条件」とは、コトパンジャン・ダム建設事業費の第1期分125億円の円借款供与を約束した1990年12月13日の第1次交換公文の締結に際して、討議議事録に記載された「@移転地の象を適切な保護区に移転することA移転住民の生活水準は移転以前と同等かそれ以上のものが確保されることB移転住民の移転合意及び補償合意は、各世帯から個別に取りつけられること」というもので、この裁判において重要な位置を持つものです。この点については、次回にODAの仕組みと併せて取り上げます。
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Last Update : 2023/1/15
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日本で初めてのODAを問う裁判
日本のODA(政府開発援助)によるコトパンジャン・ダム建設で、インドネシア・スマトラ島では23,000人がふるさとを強制的に奪われました。5,396人の現地住民が原状復帰と補償を求め、日本政府・JICA(国際協力機構)・東電設計(=東京電力グループ)を被告として、裁判中です。
日本政府はODAの基本理念を「開かれた国益の増進」としています。「援助」とは名ばかりです。「国益」=グローバル大企業の利益のために、地元住民を犠牲にした「海外版ムダな公共事業」を行い、さらには原発までODAを利用して輸出しようとしているのです。
「国益」のための「援助」、住民泣かせの「援助」はやめさせましょう。ぜひ、裁判にご支援お願いします。
(ダムの呼称について)
インドネシア・スマトラ島の住民・自治体・マスコミは『コトパンジャン(Kotopanjang)』と言います。
一方、日本政府・インドネシア政府は本件ダムを『コタパンジャン(Kotapanjang)』としています。
Kotoは地元ミナンカバウ語、Kotaはジャワ語でいずれも「町」を意味します。現地の言葉・文化を尊重する立場から、私達は『コトパンジャン・ダム』としています。