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原発建設が狙われているインドネシア・バンカ島 訪問記


スマトラ島南東部のバンカ島に原発建設計画


 バンカ(BANGKA)島を訪問した。昨年の7月末に開催された”ODAを問う国際連帯シンポジウム”で、WALHI(ワルヒ:インドネシア環境フォーラム)のベリー全国執行委員長から同島での原発建設計画が急速に具体化され、その輸出国として日本が有力であるという報告を受けていたからである。その計画はまだ正式に決定されていないにもかかわらず、住民への説明が始まっているということであった。建設予定地には行けなくても、現地で反対運動に取り組んでいる人々に会い、直接原発建設計画の進行状況と日本の関与について確認するため訪問を実施した。今回の訪問は、コトパンジャン・ダム裁判でご協力をいただいているIさんの多大な助力により実現した。

 バンカ島はスマトラ島の南東部に隣接し、同島の半分程度のベリトゥン(BELIYUNG)島と周辺の多数の島で構成されるバンカ・ベリトゥン州の州都パンカルピナン(PANGKALPINANG)の所在地である。州全体の面積は日本の四国ほどもあり、ジャカルタからバンカ島までは飛行機で約1時間である。そしてこの島はシンガポールやマレーシアの人々から「第二のバリ」と呼ばれており、この地域に駐在する日本人も多数訪れているということである。バンカ島に飛行機が近付くとサンゴ礁に囲まれた美しい海岸線が続いていた。しかし、空港に近付き高度を下げていくと、眼下に異様な風景が広がっていた。熱帯林が至る所ではぎ取られ、白い土が露出して、その中に無数の池が出来ているのである。これがこの地が原発建設の最有力地になった原因であることは、あとで説明を聞いて分かった。


島民に知らされていない


 空港には反対運動のリーダーの一人であるプラウォド(PRAWODO)神父と彼のグループで活動している青年が出迎えてくれた。訪問が土曜日であったため、地元のWALHIは活動しておらず、そのスタッフとは会えなかったが、神父たちのグループをはじめとするバンカ島の運動団体は、すべて一緒に活動をしているということであった。

 さっそく美しい遠浅の海岸に面した屋外レストランに移動し、昼食をとりながら神父から説明を受けた。その説明によれば、この島は漁業と錫(スズ)の島であり、錫の鉱床は島全体に広がっている。住民たちは漁業と錫鉱の採掘で生活しているが、長期にわたる採掘で資源は少なくなっているということであった。飛行機から見た異様な光景は錫の採掘跡であった。

 原発建設予定地は、州都から約150キロ離れた北西海岸のムントック(MUNTOK)と約100キロ離れた南西海岸のペルミス(PERMIS)であり、両方とも海峡を隔ててスマトラ島の南スマトラ州の東海岸に面している。海峡は30キロ程度の近距離である。二つのうちムントックについては国有地であるため用地買収の必要がないが、ペルミスには私有地がある。そのためムントックのほうが、原発の建設は早い可能性がある。福島の事故が起こる前に州知事が日本をはじめとした原発輸出国へ招待され、最近原発の建設許可書に署名した。現地では原発の輸入先が日本に決まったという噂が流れている。そして、建設予定地周辺の住民に対して説明会が開催され、地下岩盤の強度を計るため採取した岩石の破壊検査も行われた。今現地では自覚的な村人やNGOが反対運動を起こし始めていている。しかしまだバンカ島全体の住民には計画が知らされていない。福島の原発事故の現状について、自分たちはインターネットで情報を得ているが、現地の新聞・テレビなどは全く報道していない。建設予定地は立ち入禁止ではないということであった。そこで、ムントックへ案内してもらうことにした。

原発建設予定地は美しい海岸


 神父の連絡で、グループからさらに2人のスタッフ(高校の物理の教師と観光ガイドをしている青年)が加わり、車で現地へ向かった。車中でスタッフから話を聞きながら約3時間半かけて現地へ向かったのだが、その話し合いの中で新たな事実が明らかになった。それは原発建設が計画されている国有地はインドネシアで最も純度の高いウランを産出する鉱山であり、ウラン鉱山の周りはコンクリートのフェンスで覆われている。一部のフェンスには放射線管理地域であることを示すプレートが貼られている。さらに島の地下はスズを含む硬い岩盤であり、この島では過去に地震が起こったことがない。このような理由で原発建設が計画されているのではないかということであった。

 建設予定地周辺には錫の採掘跡の荒れ地が所々にあったが、多数の集落もあり、道路沿いには新しい家も建てられていた。そしてバイクで通りかかる何人かの人に道を聞くと、皆が「原発建設予定地は向こうですよ」と教えてくれた。もう地元では原発建設が既成事実として広がっているようであった。しかし、短い会話のため、将来原発のすぐそばに住むことについてどう考えているのかは分からなかった。

 原発が建設される場所には、美しい砂浜の真ん中に錫を含む硬い岩盤が露出した小さな岬があった。沖合に広がる岩盤は砂浜を横切り、海面から10メートル程度の高台に続いていた。ヤシ林が覆う高台には灯台と数軒の住宅があった。砂浜には数隻の漁船が係留されており、漁業がおこなわれていることを示していた。記録を取りながら海岸を歩いたが、原発建設のためにこの美しい自然を破壊し、福島級の事故が起こればこの周辺のみならず、バンカ島の大半と海峡を隔てたスマトラ島の一部まで人が住めなくなるのだと思うと、無性に腹立たしくなった。途中で灯台に隣接した建物から一人の男性が出てきて遠目に私たちを見ていたが、特に何か言ってくることはなかった。まだ現地は緊迫した様子ではないようだ。

放射線管理がずさんなウラン鉱山


 次にウラン鉱山へ向かった。場所は岬のすぐ近くであったが、あたりが薄暗くなっていてなかなか場所が分からなかったが、道を聞きながらようやく鉱山の入口にたどり着いた。時間が幸いしたのか難なく鉱山の入口ゲートを通り抜け、延々と続くコンクリート製のフェンス沿いの道路をたどっていくと、突然放射線管理区域を示すプレートが現れた。そしてフェンスの切れ間から黒々とした鉱石の山が見え、それに続いて電気が煌々と灯った大きな工場の建物が見えた。その建物の横には門のないゲートがあり、広大な駐車場には多数のトラックが留めてあるのが見えた。そのゲートから延びる道路はフェンス沿いの道路を横切り、すぐそばの専用積み出し港に続いていた。その周辺を特に厳重に遮蔽している様子はなく、普通の採石場のようであった。

 撮影を済ませて鉱山の入口に戻り、外に出てフェンス沿いに周辺を走ると、大きな集落が広がっていた。私は神父や現地のスタッフにこの周辺で放射線量を計ったことはないのかと聞いたが、測定する計器がないので全く計ったことはなく、周辺住民の病気などの統計データも全くないということであった。

 午後5時頃に調査訪問を終えて午後10時過ぎにホテルに帰り、高校教師とガイドをしている現地の活動家2人にインタビューを行った。2人とも現時点での原発建設には反対であり、不足しているのは専門的な情報と国際的な連携であることを強調した。少し意外だったのは、二人が原発を将来的には必要だと考えていることであった。現在のインドネシアには原発を制御する技術がないので反対だが、時間をかけて技術を習得し、原発の長所を生かして短所を最小限にしていくことが必要だという点では共通していた。この点については、時間の関係で十分な議論が出来なかったが、今後日本の反原発運動との交流が必要ではないかと感じた。

 ジャカルタに戻ってから、ワルヒ全国執行委員会のスタッフと話し合ったが、彼らはウラン鉱山の存在を知らなかった。そして、早急に調査してみるということであった。今後、出来るだけ早く現地を再訪問し、さらに現地の反対運動との交流を深めていきたい。

(支援する会・遠山) 

コトパンジャン・ダム
被害者住民を支援する会

〒162-0815
東京都新宿区筑土八幡町2-21-301
TEL/FAX 050-3682-0769
(IP電話に変更しました)

www.kotopan.jp,  info@kotopan.jp

 

ボランティアスタッフ募集中です。お気軽にご連絡ください。


Last Update : 2014/1/18
Since     : 2002/8/3 
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日本で初めてのODAを問う裁判

日本のODA(政府開発援助)によるコトパンジャン・ダム建設で、インドネシア・スマトラ島では23,000人がふるさとを強制的に奪われました。5,396人の現地住民が原状復帰と補償を求め、日本政府・JICA(国際協力機構)・東電設計(=東京電力グループ)を被告として、裁判中です。
 日本政府はODAの基本理念を「開かれた国益の増進」としています。「援助」とは名ばかりです。「国益」=グローバル大企業の利益のために、地元住民を犠牲にした「海外版ムダな公共事業」を行い、さらには原発までODAを利用して輸出しようとしているのです。
 「国益」のための「援助」、住民泣かせの「援助」はやめさせましょう。ぜひ、裁判にご支援お願いします。



(ダムの呼称について)

 インドネシア・スマトラ島の住民・自治体・マスコミは『コトパンジャン(Kotopanjang)』と言います。 
 一方、日本政府・インドネシア政府は本件ダムを『コタパンジャン(Kotapanjang)』としています。
 Kotoは地元ミナンカバウ語、Kotaはジャワ語でいずれも「町」を意味します。現地の言葉・文化を尊重する立場から、私達は『コトパンジャン・ダム』としています。